コミック喫茶のアルバイトでジェネレーションギャップを

感じた事は、以前ここに書いたと思う。

ほんの数年しか違わないのに、価値観や、

自分が一般常識と思っていた事が通じないのだ。

ああ、私もオバサ・・(いやぁぁぁ)なんだなと、

軽く落ち込んだものである。


それでも話してみると異星人と話しているわけでは

ないと気づく。

彼らは彼らなりに悩み、傷つく、やはり気のいい若者

なのだ。


先日、ニュースで保育ママという民間サービスで、

委託された子供を虐待して逮捕された保育ママの

報道を見た。

「泣きやまないのでいらついて、子供を揺さぶった」

という事らしい。

生後数ヶ月でまだ首も座ったばかりの子供を、

そんな風に扱えばどうなるか、頚椎でもいためたら

重篤な後遺症でその子の人生は変ってしまう。

報道では、加害者は正式な保育師の資格は持って

いないという事だったが、それもまた恐ろしい話しだと

思う。

委託した親は「プロ」だと思って安心し、保育料を払って

子供を預けるのに、基本的な育児理念を知らないで、

ただの作業として子供を委託育児することの危険性を

この事件では示唆していると思う。

子供が好きだから、ベビーシッターをする人ばかりでは

ないのだ。

いや、本来子供は好きだったのかもしれない。

しかし思い通りに仕事が進まない・自分の努力が通じない

という苛立ちから、密室で子供を虐待する。

このくらいなら大丈夫だろう、と勝手に判断して

子供と大人の体の構造を知らず、重篤な傷を負わせて

しまったという、プロとして失格な行為だ。

この人の心理はどんなものだったのだろうと考える。


どちらにしても、信頼して預けた子供をそんな目に

あわされたのではたまったものではない。


しかし、実子に虐待を行う親も年々増えてきている。

親の理解が得られず、傷つく人も多い。


様々な虐待の書物には「虐待は連鎖する」と書かれている。

親の愛情を受けれなかった、愛されたいのに愛されなかった。


だから自分も愛し方がわからない、と悩む親は相談施設に

訪れる人の統計だけでも年々増えている現状だ。


ここ数年だけでも数値は跳ね上がっている事実を知っている

人も多いだろう。

このデータはあくまで相談してくる人の統計から出した数値で、

実際は相談する事もできない人もいるであろうから、本来の

データはもっと多いと予測される。


親に理解してもらえない、という事は本人にはとてもつらい

事だと思う。

そして、その本人も自分が母親になった時、子供をどう扱って

いいのかわからず、悩み虐待してしまう連鎖に陥る。


自分は将来、自分の親のようにはなりたくない、子供を

愛して、大事に育てないと願いながらも、つい負の感情に

流されたり、子供の生理学を知らずに加減ができない躾や

過度に子供を叱れない親もいる。


虐待は法的にも倫理的にも許されることではない。

しかし、過去を引きずり 無意識に連鎖を起こしている事に

気づいている人はどのくらいいるのだろう?と考える。


虐待を認めるわけでも推奨するわけでもない。

傷ついている人に、もっと強くなれとただいう事は簡単だが、

疲れ切って、心の迷路にはまっている人に他人が説教して

どれほどの効果が望めるだろうか。

虐待してしまう親は、本当に全く子供を愛せないでいたの

だろうか。


自分の子供の頃の記憶や現在でも、親の理解を得られない

と悩む人は多い。

人がなんと言っても、本人が傷ついているのは事実だ。

それは癒されるべきであり、できれば相互理解をしたいと

切望する人も多いだろう。


その為にはどうしたらいいのか?

理解しようとしないで、ただ意見を押し付けるだけとしか思えない

親と、その親の子供の頃の記憶を話し合った事はあるだろうか。

その親の親の子供の頃の歴史を聞いた事はあるだろうか。


人は自分の経験や学習した価値観で行動する。

経済が発展し、曲がりなりにも私たちは飽和ともいうべき

経済社会に生まれ育った。


ではその親は?親の親の時代はどうだっただろう?

そこから話を聞いていく事で、やはりジェネレーション・ギャップを

感じる事はないだろうか。

親の子供時代や、祖父・祖母の子供時代を話し合った事はある

だろうか。

そしてその話を聞いて、自分の気持ちを伝える事で相互理解を

求める事は不可能なのだろうか。


たとえ肉親といえども、育ってきた環境や教育は今と同じで

あったのか、親が感じてきた事を知り、そこから価値観の違いを

理解しようと考える必要は全くないのだろうか。


私は自分が虐待を受けて育ったとは思わないので、私に何が

わかるんだ!と思われるかもしれない。

ただ、私は自分の親や祖父母達の子供時代を聞く機会が

あったので、そこから色々考える事もあった。


親と私は全く違う環境で育っていた。

未だに親とはたまに衝突する事はあるが、親には親の刷り込まれた

教育の歴史がある事を聞いている。

親に染み付いた、私と違う考え方を急に変えたり、今の自分を

無条件で理解してもらう事は難しいと思える。


親たちが成長過程で感じたことや、考え方をじっくり話し合って

見てはどうだろうかと考える。

相手を理解せず、ただ自分を理解してくれないと

心を閉ざすのは、それからでも遅くないのではないだろうか。


奇麗事を述べるようだが、できれば考えて見てほしいと思う。

そこから何かがつかめれば、変るものはないだろうか。